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Author:mondogrosso12
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「聖書に次いで一世紀以上ものあいだ多くの人々に読まれつづけている、 驚異的な超ロング・ベストセラー」 が謳い文句の「原因」と「結果」の法則。 1902年にイギリスで出版され、あらゆる自己啓発本のルーツとも言われている。アメリカではおばあちゃんが子供にプレゼント程の、世界的にメジャーな本の日本語版(初出は2003年)。ビジネス雑誌の特集ではお勧め書籍として多数紹介されている。 ただ実際に「原因」と「結果」の法則を読むとこの本が1世紀強、世界で愛されてきただけの「凄み」を実感できる。理由として挙げられるのは、これは日本語訳も優れているのかも知れないがまったく文章に癖がない。 豪邸に住める、高級車に乗れる、運命の人とであえる、ビジネスで成功できる、大金持ちになれる・・・など目で見て疑わしいフレーズは一切無く、 『あなたの心の中で思っていることが外の世界で実現される』 これが様々な言葉でくりかえし何度も表現されている。 1時間ぐらいで読めてしまう薄い本であり、HOW TO系でもないので読んでもあまり頭に入ってこない。頭に入ってないから何度も読める。何度読んでも頭に入らない。そしてまた読む。この繰り返し。7回読んだw。 まだ頭に入ってないことは確か。 でも間違えなく心には何重にも響いている。 そんなすばらしい本です。
つげ義春の漫画は日本国宝級の芸術である。「ねじ式」に関しては、読み手を混乱させる精神世界とストーリー、そして意味の分からない描写は漫画家として「暴挙」と言っても過言ではない。ただそれぞれの「暴挙」が、点として存在するなら、ただのインディーズ漫画だ。つげ義春のマンガがそのケースに当たるなら、彼はこれほどのリスペクトは得る事はなかっただろう。しかし、彼の作品にはあれだけの「暴挙」を整列させる「基準」のようなものが、わずかではあるが存在する。しかも読み手に理解出来るかどうかギリギリの「基準」がである。つまり「暴挙」が「線」として存在している。そこに彼のマンガを芸術と言わせる説得力があるのだ。 「ねじ式」をつげ作品の中でどう位置づけるかという問いに対しては「夢系」でしょう。実はつげ作品に出てくる「田奈加」っていう古道具屋があるんですけど、あれ、大学2年まで住んでた家のホント近所にありまして。そこの店6年ぐらい前に行った時まだあったので、主人に話を聞いたらホントにつげ義春と知り合いでした。 見た夢を忠実にマンガにするらしいですよ、つげ義春は。その人もつげ作品を「芸術」と評しておりました。 「ねじ式」はその「夢系」の作品の中でも文字通り「ねじ」が3000本ぐらい飛んでる作品で、感想を分かりやすく言うと、ダウンタウンの松本のギャグが「スゴイのは分かるが、笑えない」のと同じで、「ねじ式」もそうなのだ。ただ、あれだけ意味不明なのに「スゴイな」と思わせるのがつげ義春が芸術と言われる所以で、作中でエロを扱ってなかったらとっくに叙勲してもおかしくない漫画家なのである。 単行本コミックで出てます。興味のある方は是非どうぞ。
中学生のときだったか?ビック・コミック・スピリッツを読んでて、同じクラスにいたセンスの良い女友達から、 「スピリッツだったら、何が好き?」 と言われ、 「え?美味しんぼ。」 とフツーに答えたが、その女が 「ダメだよ、スピリッツ読むなら花男が一番好きって言わなきゃダサい。時代に乗り 遅れるよ。」 と説教されてしまった。今で言う「汚れ」系の女で顔立ちにも品性が無かったが、中学生ながら私はその女の持つ「品性の無いセクシーさ」に魅力を感じていた。しかし、その女を自分の彼女にしたいとは断じて思わない。まず、イニシアティブが握れないだろうし、彼女の世界に飲み込まれてしまうのが怖かった。追い続けてその先にある「何か」が恐ろしかったのだ。決して卑下する訳では無いが所詮住む世界が違う。今その女が何をやっているか知らないが、この社会という大きな歯車の中でさえ自分の「個」を失うことなく生きているだろう。頑張れ、俺は陰ながらお前がナイスな女だった事を知っている。 自分に到達し得ない領域というのは実はそこら辺にいくらでも転がっていて、例えば堀江がフジを買収する為に800億の金を調達出来る男だったら、世の中にいる殆どの男には到底考えられない領域に彼は存在している。しかし、堀江の持つ領域を松本大洋が扱おうとした所で、それはしょせん読者が望んでいる事では無いのであって、この「ZERO」で描かれているテーマというのはそれと似ているが少し違う。 どちらかと言うと最初に挙げた「俺に花男を勧めた女」の方が例としては一致する。クラスで群れる訳でもない、別にキレイでもかわいくもない。しかしその女の持つ「魔の領域」に男が魅力を感じてしまうケースはいくらでもある。少なくとも私はそういう経験を持っている。しかしその「魔の領域」に一歩、足を踏み入れるには度胸が必要。なかなか決断できないのは、私がいわゆる「普通の男」だからなのだろう。この「ZERO」でテーマになっているのはその「領域」を持っている男と「そこに踏み込んでいく男」の葛藤である。「元々俺はこんな男じゃなかった筈だ」と今の自分を憂う人間がいるならば、この漫画を読むことをお勧めする。
私が知ってる松本大洋の作品の中で、群を抜いての最高傑作「鉄コン筋クリート」。この作品を読んだ事が無い方がいらっしゃるなら、それは幸運な事であり、人生で最低でもまだ一つだけ「知らない楽しみ」をストックしている。ホント羨ましい。 簡単なストーリーを紹介すると、宝町という街に住みつく通称「ネコ」と呼ばれた二人の子供を中心に物語が展開していく。ネコ達とは別進行で町の利権を巡って争う大人達のストーリーがあり、最後はこの「ネコ」と結びつく。松本大洋の都市観が作品にも反映されている。自分が拠り所にしていた「街」の開発に憂う男「鈴木」の存在は、急速にコンビニ化する都市、そこに介入する「新しい価値観」に対してアンチテーゼなスタンスを貫く象徴的な存在として描かれている。 そしてその鈴木の下でもがく男、「木村」。懐古主義の鈴木に疑問を持ちつつ、自分が今のままでは鈴木を超えられないと憂い、生き急いでしまう木村の姿に、私はどこか共感を覚えるのだ。遅すぎた真実の発見と、取り返しのつかない時間の流れに対しての哀愁をこの男に感じざるを得ない。 街という一つの社会の自浄機能を象徴した存在、「ネコ」。天誅の為に暴力を辞さないその姿勢は一見目を覆うような部分があるかも知れないが、その為にしばし迷走してしまう事もある。ネタバレが無いように詳細の見解は一時的に控えるが、そのうちこの記事をベースにしたレビューを書きたいと思っている。 今まで紹介した松本作品は全て、背景や人物構成が単純だったがこの「鉄コン筋クリート」は違う。名作なのにバカみたいに長いストーリーでは無いし、この作品に込められているメッセージにはすごくボリュームがあって圧倒される事でしょう。 | ||||||||
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